百万一心とは

戦国時代の大名、毛利元就もうりもとなり吉田郡山城よしだこおりやまじょう(広島県安芸高田市)の拡張工事の際に人柱の代わりに使用した石碑に書かれていたとされる言葉。
石碑には「百万一心」の字を縦書きにして「一日一力一心」と読めるように刻まれている。
これは「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」という意味で、人々が皆で力を合わせれば何事も成し得るということを表している。

当時12歳だった松寿丸しょうじゅまる(毛利元就の幼名)が厳島神社を参拝したところ、泣き続ける5〜6歳ぐらいの少女を見かけた。
この少女は母親と巡礼の旅をしていたが、ある城の築城の際に母親が人柱に選ばれてしまったという。
幼い頃に父母と死に別れている松寿丸は少女に同情し、郡山城に連れ帰った。そして15〜16年の年月が経って、元服した毛利元就が吉田郡山城の主となった頃、本丸の石垣が何度築いても崩落するので困っていた。
やがて、人柱が必要だという声があがったため、普請奉行(土木工事の監督)は巡礼の娘を人柱にすることを提案した。娘自身も、過去に元就に助けて貰ったお礼として喜んで人柱になると答えたが、元就は「その娘を人柱にしてはならぬ」と厳命。
翌日、元就は「百万一心」と書いた紙を奉行に渡し、その文字を石に彫って人柱の代わりに埋めるよう命じた。
そして、人柱を埋めずに人命を尊び、皆で心と力を合わせて事にあたるようにと教えた。

四字熟語 百万一心
読み ひゃくまんいっしん
類義語
使用漢字
最終更新日:2025年10月11日