小田原咄とは

いつまで相談しても結論が出ず、物事が決定しない様子。優柔不断。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻めたとき、小田原城内の評定で対策が評議されたが、家臣の松田憲秀が籠城戦を主張する一方で、北条氏邦は打って出ることを進言した。延々と評定が長引き、ついに決定しないまま豊臣軍によって滅ぼされたという故事が由来。

同義語:「小田原評定おだわらひょうじょう」、「小田原相談おだわらそうだん」「小田原談合おだわらだんごう」「貉評定むじなひょうじょう

四字熟語 小田原咄
読み おだわらばなし
使用漢字
最終更新日:2024年6月7日