判官贔屓とは
弱者や敗者に対して同情して味方になること。
ここでいう「判官」は源義経のこと。
古典芸能の世界では「源」を付けずに「九郎判官義経」と言い習わす。
義経が兄の頼朝に妬まれて滅んだことに、人々が同情を寄せたことが由来。
「判官」とだけ書く場合は「はんがん」が正しい読みだが、判官贔屓に限っては「ほうがんびいき」が正しく、「はんがんびいき」と読むのは本来は誤り。
源義経は頼朝の異母弟で、幼名は牛若丸と名付けられた。
平治の乱のあと、平氏に捕えられたが、幼かったために命を助けられ、やがて陸奥国の藤原秀衡にかくまわれて成長した。
1180年、頼朝が平氏打倒の兵を挙げると、これに加わり、「一ノ谷の戦い」「屋島の戦い」「壇ノ浦の戦い」で平家を破り、数々の功績を残した。しかし、兄であり将軍でもある源頼朝に疎まれてしまい、反逆を企てたが失敗して奥州に逃れた。
秀衡の死後、家督を継いだ子の泰衡に襲われ、衣川館で自害。悲劇の英雄として伝説化された。
| 四字熟語 | 判官贔屓 |
|---|---|
| 読み | ほうがんびいき |
| 類義語 | |
| 対義語 | |
| 使用漢字 | 判、官、屓、贔 |
| 最終更新日:2025年10月11日 | |