小田原咄とは

物事の決定や議論が長引き、結論が出ないまま時間ばかりが過ぎてしまう状況を指す言葉である。
もともとは戦国時代の小田原城での評定(会議)が何度も繰り返されて進展しなかったことに由来する。
転じて、会議や相談が非効率で、実質的な決断を欠く様子を皮肉的に表現する際に用いられる。現代では、意思決定の遅さや迷走を批判する意味合いで使われることが多い。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻めたとき、小田原城内の評定で対策が評議されたが、家臣の松田憲秀が籠城戦を主張する一方で、北条氏邦は打って出ることを進言した。延々と評定が長引き、ついに決定しないまま豊臣軍によって滅ぼされたという故事が由来。

同義語:「小田原評定おだわらひょうじょう」、「小田原相談おだわらそうだん」「小田原談合おだわらだんごう」「貉評定むじなひょうじょう

例文

・彼の話はいつも小田原咄で、肝心なところが抜けている。
・この議論はまるで小田原咄で、何も決まらない。

四字熟語 小田原咄
読み おだわらばなし
英訳 pointless talk
使用漢字
最終更新日:2025年8月20日