眉間一尺とは
眉の間が広いこと。
古代中国の占いで賢者の人相とされる。
古代中国。楚の国に、鍛冶師の干将と莫耶の夫妻がいた。
楚王に命じられ、干将と莫耶は二振りの宝剣を鍛え、一振りを王に献上し、もう一振りを隠しておいた。やがて楚王の剣がしきりに音を立てるので、大臣が「対となるもう一振りを恋い慕っているのでは?」と進言した。
王は怒り、干将を処刑しようとした。干将はその運命を悟り、妻の莫耶に「子が男子なら南の山の松を探せ」と遺言し、自ら山中に隠れて死んだ。その後、莫耶の子が生まれ「赤」と名付けられたが、眉間の幅が一尺もある異相だったので「眉間尺」とも呼ばれた。
赤が十五歳になったとき、母親は父の遺言を伝えた。赤は遺言に従い、南の山で父の剣を得て復讐を誓った。
同時に楚王も「眉間の広い男に討たれる」という夢を見て、ただちに四方に命令を下し、赤に懸賞金をかけて捕らえようとした。追われた赤は刺客に出会い、自ら剣で首を斬って差し出した。
首は王のもとへ届けられたが、三日三晩煮ても崩れなかった。王が釜を覗き込むと、王の首が落ちて釜に入り、赤の首と噛み合って戦った。そこへ刺客が剣を投げ込むと、二つの首は煮えただれ、さらに刺客の首までも落ちて釜に入ってしまった。こうして三つの首が混ざり合い、一緒に埋葬されることになった。「三王墓」と名付けられたこの墓は、今もなお宜春県に残っていると伝えられる。
なお「眉間一尺」は人相学では賢者の相とされたが、本伝説においてはむしろ「異相を背負った復讐者」として描かれている。すなわち、吉相であるはずの特徴が、ここでは宿命的な運命と結びつき、英雄譚へと転化している。
あわせて、この伝説は『捜神記』『呉越春秋』『今昔物語』『太平記』など多くの文献に見られるが、それぞれ細部の表現やプロットに異同がある。
四字熟語 | 眉間一尺 |
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読み | びかんいっしゃく |
出典 | 『捜神記』 |
使用漢字 | 一、尺、眉、間 |
最終更新日:2025年9月5日 |